日本の子供がだめになる!? “劣化した親”に抱え込まれないようにするには
2020/01/14
「このままでは日本の子供はダメになっていく。」と警鐘を鳴らすのは、社会学者の宮台真司氏。パパママには無意識のうちに刷り込まれた言葉のプログラムが存在する。閉じ込められた“社会の内”から抜け出し、子供にいろいろな大人と接する機会を与えることが鍵となる。
「不安神経症」になる
社会に閉じ込められた親
子供の教育についてですが、このままでは日本の子供はダメになっていくというのが、今の私の基本的な考えです。親が感情的に劣化しているからです。
親が感情的に劣化した背景には、親自身が、無意識的に刷り込まれた言葉のプログラムの外に出られない「言葉の自動機械」、法の内側だけを正義だと考える「法の奴隷」、集団内のポジション取りをする「損得マシーン」になっている事実があります。
そうした親は神経症的です。神経症は、埋め合わせられない不安(孤独の不安など)を一時的に埋め合わせるために、ガスの元栓を閉め忘れたんじゃないかと心配になって繰り返し帰宅する、といった反復行為をするのが典型です。フロイトの分析です。
こうした診断は数々の社会病理に応用できます。フロイト左派と呼ばれる社会分析家たち(フランクフルト学派)は、戦間期の没落中間層が劣等感(という不安)を埋め合わせるべく、強く大きなものに縋ったことが、ナチズムをもたらしたとします。
彼らは「不安が、権威主義型の社会的性格をもたらす」事実に注目しましたが、その影響下で社会学者リースマンは「不安が、他人指向型の社会的性格をもたらす」とします。マスメディアを含めた周囲の動向に神経症的に同調したがる傾向です。
こうした学問によれば、自分の体験から来る確信と、それに由来する内発性(内側から湧き上がる動機付け)によらず、最先端の情報を一生懸命に雑誌やネットで探し回っている時点で、その親は「終了」。子供を抱え込むなどもってのほかです。
ゲゲゲの鬼太郎から学ぶ
アミニズム的日本人
「劣化した親」に抱え込まれないように、乳幼児期からいろいろな大人と接する機会を得られる環境が大切です。それを実現するには、親自身が「劣化した自分が子供を抱え込まない方がいい」という事実に気づかねばなりません。
言葉の自動機械/法の奴隷/損得マシーンは「社会の内」に閉じ込められた結果です。ここでの社会とは人間界のこと。「社会の外」に拡がる世界(あらゆる全体)から見れば、社会は小さなシマ。外には動物、植物、空、海、森の織り成す世界が拡がります。
昭和までの日本人は「社会の内」に閉じ込められませんでした。当時の日本人はアニミスティック(アニミズム的)だとされてきました。アニミズムとは「自然の事物に精霊が宿る」という意味ではありません。
アニミズムとは「森の哲学」のこと。文明以前の人々は様々な事物から「見られている」という感覚がありました。人に見られている。獣にも虫にも見られている。草や花も樹にも見られている。森や川や海や空にも見られている……。
水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズの初期が「墓場鬼太郎」ですが、そこでは人が壁やタライと話します。これがアニミズム。精霊は関係ない。動物になりきり、植物になりきり、無生物になりきる作法です。キーワードは「becoming(なりきり)」。
人は、見られていなければ悪いことをしがちです。今の人は、周りに人がいなければ悪いことをしがち。でも「なりきり」の作法があれば、人が見ていなくても、動物や植物や無生物に見られていると感じ、悪いことをしない。それが昔の人の生き方。
加えて、獣や虫に、草や花も樹に、森や川や海や空に「tobecome(なりきる)」能力があれば、他の人に「なりきる」こともできる。学問的には、こうした「sympathy(同感能力)」(アダム・スミス)や「pitié(憫み)」(ルソー)がないと資本主義も民主主義も回りません。
PROFILE
宮台真司 SHINJI MIYADAI
1959年宮城県生まれ。社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)など著作多数。
Text >> 大根田康介
FQ Kids Learning vol.1より転載