その考え方は腐っている! 子供の幸せは“クソ社会”でのポジショニング取り?
2020/01/26
「社会の内」への閉じ込めを解除すべきだと社会学者、宮台真司氏は主張する。今ある“クソ社会”を生き延びるには適応も欠かせないが、マジガチであってもならない。幸せにつながる生き方とは。
第1回『日本の子供がだめになる!?“劣化した親”に抱え込まれないようにするには』はコチラ
第2回『“クズ”になると幸せな人生はない!「社会の外」に開かれた能力が失われている』はコチラ
第3回『クズな大人に育てない!必要なのは「人間中心の視座」を棄てること』はコチラ
「公民的得」の発想が
日本と欧米との違い
存在論とは「ある」こと。実在主義とは、「ある」を踏まえて「する」こと。
どんなに呪術的/非人道的/男尊女卑的に見える社会も、長く存続してきた事実をみれば、存在論を踏まえた実在主義という意味で生存戦略として合理的です。
同じ意味で、人間中心主義の構えも、近代文明の生存戦略として多少なりとも合理的でした。でも人類史からみて近代(経済学者ロドリックがいう資本主義と民主主義と主権国家の結合)の歴史は短すぎ、持続可能性が怪しい。
先進国に限らない各国の、人のクズ化(言葉の自動機械/法の奴隷/損得マシンになること)や、社会のクソ化(言外や法外の消滅)は、資本主義や民主主義や主権国家体制の故障なのか。もっと重大な生存戦略の誤りなのか。存在論的転回は後者に与します。
「社会の内」に閉じ込められたこと自体が神経症的不安の源泉ではないか。社会を人間界に限ることで外にある世界を忘れたこと自体が地球環境危機の源泉ではないか。とすれば、制度をいじくり回すことより、「社会の内」への閉じ込めを解除すべきです。
人間は仲間がいなければ不安に陥るのはゲノム的性質です。同じく「社会の内」に閉じ込められると不安に駆られるのもゲノム的性質かもしれない。であれば、仲間を作るべきだし、その仲間を人間界に限るべきでもありません。
人類史をみると、仲間を作らない人々も「社会の外」とつながれない人々も死滅しました。その事実が進化生物学的にはゲノム的性質にも関係し得ます。「社会の内」に閉じ込められた文明は死滅するし、そうした生き方も各人の幸いにつながりません。
子供の幸いを、今あるクソ社会でのポジション取りに設定する時点で、親や教員や行政は腐っています。むろん今あるクソ社会を生き延びるには適応も必要です。でも「適応したふり=なりすまし」であるべきで、マジガチであってはなりません。
ポジション取りに夢中な人々
それが「美しい日本」の実態
社会心理学者山岸俊男の実証研究では、日本人は所属集団内でのポジション取りにだけ勤しむ自己中心性が最も高く、非所属集団を含めた全集団のプラットフォーム(=公)に貢献するcivic virtue(公民的徳)を欠きます。ならば文明的転換に最も遅れます。
三島由紀夫によれば一夜にして天皇主義者から民主主義者に転換した日本人は「からっぽ」。ポジション取りに役立つとみれば、僕こそフェミニストだ、僕こそ多様性主義者だとホザきます。それが「美しい日本」の実態です。
そこからみれば、関電問題も原発再稼働問題も、森友・加計学園問題も、先進国で最も低い最低賃金問題も日本だけ20年間経済成長しない問題も、単なるエピソード。子育てと教育に成功したとされる「エリート」が現状をもたらしたことを忘れないように。
PROFILE
宮台真司 SHINJI MIYADAI
1959年宮城県生まれ。社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)など著作多数。
Text >> 大根田康介
FQ Kids Learning vol.1より転載