“クズ”になると幸せな人生はない!「社会の外」に開かれた能力が失われている
2020/01/19

20世紀の初頭から、言葉の自動機械/法の奴隷/損得マシーンになり「社会の内」に閉じ込めらる人間が増えてきた。そういう意味で“クズ”になれば、市場や民主政がデタラメになってしまう。それでは、幸せな人生を送ることはできないだろう。社会学者、宮台真司氏のコラム。
「社会の内」に閉じ込められない能力
シュタイナー教育の目的とは
これを社会学者ルーマンは「昔、社会は人間界を意味せず、世界が社会だった」「社会が人間界へと閉じられ、世界は社会と無関係になった」とします。文明化(大規模定住化)が始まる三千年前より昔には、そんな作法はありませんでした。
人間が、歌と区別される言葉を喋るようになって四万年。定住するようになって所有を守るために法を作るようになって一万年足らず。文明化によって次第に「社会の外」に閉じられるようになって三千年。でも日本人は文明以前の作法を保存していました。
こうした文明の病理に抗って、「社会の外」に開かれた感受性を育てるのが、デンマークで就学前の子供が森の中で自由に暮らして近代生活で失われがちな能力を育む「森の幼稚園」の目的で、読み書き算盤よりも臨界年齢(取り返しが付かない年齢)が早い感情能力を育むドイツの「シュタイナー教育」の目的です。20世紀の初頭から、「社会の外」に開かれた能力を人間が失っているとの自覚が教育界隈で進んだのです。
そうした能力があれば「社会の内」に閉じ込められることはなく、言葉の自動機械/法の奴隷/損得マシーンにならずに済みます。
クズになれば幸せな人生はない
市場や民主制も誤った方向に
言葉の自動機械/法の奴隷/損得マシーンという意味で人がクズになれば、市場も民主政も誤った帰結をもたらします。そうなっています。
これは市場や民主政の故障ではない。人がクズであれば市場や民主政がデタラメな出力をするのが当然だからです。加えて、人がクズになれば、幸せな人生もありません。
なぜか。理由を人類史的に再確認します。人間は言葉以前には歌を唱っていました。悲しい歌を聴けば悲しく、楽しい歌を聴けば楽しくなります。
でもゲノム変異を背景に歌から言葉が分離します。言葉には、歌にある「mimesis(感染)」がありません。それでも文明以前には言葉は歌のように用いられた。言語学者ヤコブソンによれば「prosy(散文)言語」より韻や喩を用いる「poetic(詩的)言語」が優位でした。