【スティーヴン・ジェラード】リヴァプールの英雄の父親としての姿
2013/08/29
リヴァプールの闘将として、常にチームを鼓舞、サポーターに愛され、常に礼儀正しい、謙虚な男、スティーヴン・ジェラード。そんな彼が愛する、家族、両親、クラブチームとは?
高額年俸選手の理想の家庭環境
「僕には、なによりも大切な家族が3つある。どれをとっても僕にはかけがえのない存在なんだ。いつも傍らで支えてくれている妻と娘、僕をここまで育て上げてくれた両親、そして僕にサッカーをプレーさせてくれるクラブチームに、心から惜しみない愛と感謝をささげるよ」。
そう語るのはイングランドプレミアリーグ、リヴァプールの主将スティーブン・ジェラードだ。「子供が、ずっと欲しかったんだ。少しでも早く身を固めて家庭を持ちたくて……。だから若いうちに子供をつくったんだ」。家族同士が親密な家庭で生まれ育ったジェラードは、クラブの若手選手たちが破格の年俸によって、贅沢な独身生活を謳歌する一方で、自分は人並みに家庭を築くことを選択した。当時21歳だった彼は、友人の紹介により1歳上のモデル・アレックスと出会い、その後、出会いから2年で長女リリー=エラが誕生することになる。チームメイトを鼓舞し、チームをリードしていく勇猛果敢なプレースタイルから、彼はファンの間では、「闘将」や「レッド・ドラゴン」などと称されている。だが、そんな彼も娘たちが誕生した際には、試合とはまったく違う一面を見せたらしい。
「あんな激痛に耐えるアレックスを目の当たりにするなんて、思ってもなかったよ。あいにく、どうあがいても僕には、身変わりになれないだろ。だから、とにかく妻を励まし続けたんだ。僕が所属するリヴァプールのサポーターが、僕らに声援を贈ってくれる以上にね。おかげで子供が無事に産まれた後の疲労といったら、試合の比じゃなかったよ」。
かなりの難産だった初産から18ヶ月後には、次女レクシーが誕生した。
ジェラードは世界のトッププレーヤーの名に恥じぬ年俸を得ているが、高額な私立病院での出産はあえて避けたという。
「たとえ僕が高額年俸のサッカー選手だからって、贅沢な生活をする必要なんてないんだ。できるだけ普通の生活がしたいと思ってる。僕が生まれ育ったようにね。特に娘たちには、謙虚な人間になってほしい。この考えは変えないよ。僕ら夫婦は、娘たちにとって、何が一番いい道なのか、を優先して考えていきたいね。世間から見たら、娘たちは恵まれた環境かもしれないけど、2人には堅実な生活をさせて、ちゃんと周りの人に敬意を払える人間に育ててあげるのが僕の責任だよ」。
彼は、何かを想い返すように続けてこう語った。
「そういう点では僕は父に似ているのかもしれない。彼は真面目な人間で、僕が学校のテストやサッカーでミスしても、責めずにいつも励ましてくれた」。
ちゃんと周りの人に敬意を払える人間に
育ててあげるのが僕の責任だよ
愛するふるさと
そこで犯した1つの過ち
少年時代のジェラードは、リヴァプール市郊外にある、ハイトンの公営住宅の少年だった。ジェラードの家庭は貧しいハイトンの街でも、特に厳しい暮らしを強いられていた。それでも父は、塗装工事や道路工事など、家計の足しになる仕事なら何でもやった。そんな父親の背中を見て育ったジェラードは父を尊敬し、2人の絆は深い。前の空き地で日々サッカーに勤しんだ。ハイトンは地元では治安が悪い地域として知られ、彼が現在、家族と一緒に居を構えている上品なフォーンビーとはかけ離れた街だ。
しかしジェラードは自分の故郷を決して忘れない。「ハイトンを見下す人もいるけど、何もわかってない。確かに荒っぽい街だけど、自分の故郷を記憶から消そうなんて全く思わない。僕は公営住宅で育った人間で、そのお陰で今の自分がいるんだから」。ちなみにそのハイトンは、ジェラードが現在、トレーニングを重ねている豪華なクラブチームの練習場から2㎞と離れていない場所に位置する。「僕は大人から見たら生意気な小僧だったかもね。
でもね、何度か廃墟のガラスを割ったことを除けば、大した問題は起こさなかったよ。警官が家に押しかたこともほとんどなかったし……、唯一あるのは、雑貨屋で文房具をつい万引きをしたこと。店を出ようとしたときに警備員に捕まったんだ。店の裏にある部屋に連れて行かれて、警察を呼ばれた。もう、おしまいだと思って頭の中が真っ白になったよ。いつも通っていたサッカークラブにも通報されれば、退学だ。僕はそう覚悟したね。けど、幸いなことに、お説教だけで済んだ。それからはおとなしくしていたよ」。確かに万引きをしたことがあるとはいえ、ジェラードは周りに暴力をふるったり、車を盗むような不良少年ではなく、愛情に満ちた家庭に育つごく普通の少年だった。
ジェラードの家庭は貧しいハイトンの街でも、特に厳しい暮らしを強いられていた。それでも父は、塗装工事や道路工事など、家計の足しになる仕事なら何でもやった。そんな父親の背中を見て育ったジェラードは父を尊敬し、2人の絆は深い。「父はサッカーの素晴らしいところをたくさん教えてくれた。そして、過去にリヴァプールが優勝トロフィを掲げているビデオを山ほど見せられたんだ。だから僕がどの色のユニフォームを着てプレーするかということに、迷いはなかったよ」。
ジェラードは8歳になる前に、リヴァプールFCのユースチームに入ると、父は毎試合、最前列に陣取り、熱い声援を贈っていた。息子と同じユニホームを着て……。
「あの惨事で、サッカーで成功してやるんだっていう思いをさらに強くしたんだ」