宮台真司氏が勧める「モテ教育」とは? 子供を魅力的な人間に育てる方法
2019/06/13
時代を経るにつれ、言語へ依存し、「法外のシンクロ」ができない大人が増えた。その原因は幼少期の教育にある。その時、必要になるのが「モテ教育」だ。首都大学東京の宮台真司教授の「オトナ社会学」第6回目の前編。
【第1話】イクメンはやっぱりファッションだった!? 3児のパパが語る(全4パート)
【第2話】損得で動く大人に育てるな!空洞家族にならないための「仲間」とは?
【第3話】多様性って何? 親が正しく学ぶべき「マイノリティ教育」の本質(前中後編)
【第4話】学校で子供が孤立しないための「周りに染まらない」生き方とは?
【第5話】子供に「ウソをつく」ことをどう教える? 重要なのは”何のためのウソか”
言語にとらわれた
薄っぺらい人間関係
子供の感情的能力を養う教育を考えると、答えはシンプルです。昔を参照すればいい。最近になるほど子供の感情的劣化が激しいから、今どきのものを疑い、過去の良きものを再現するのです。僕の研究では、大人の感情的劣化は1980年代からで、子供は90年代半ばから。だから、70年代までは一般的で、その後失われた作法や環境を想起して、機能的等価物を再現することが重要になってきます。
むろん昔のままを再現できません。だから抽象的機能に注目し、似た機能を果たす今使える文物を探るのです。抽象的機能を一口で言えば、言葉にならないものとの繫がりです。例えば森。社会ではヒトとヒトじゃないものは言葉で区別されます。森ではヒトと動植物は単なる生き物として等価です。昆虫でもカマキリであれば目が合って心が通います。目が合わないヒトよりもカマキリのほうに愛着を感じたりする。
昭和のコンテンツを見せるのもいい。ネットで使えるアーカイブスがあるから簡単です。そこに勧善懲悪はありません。悪にも理由があるし、善は都合の悪い部分を覆い隱した偽善に過ぎない。こうした善悪の逆転は60年代の子供向け番組の定番です。親が見れば今の番組の劣化に気づく。今の小中学生の親は40歳前後で、80年代以降の番組しか知らないから、自分も劣化した番組で育ったことを自覚できます。
法を破り共犯性を共有すれば
深い絆が生まれる
ゲノム研究によればヒトが現在の言語能力を得たのは4万年前です。それまでは歌を唱っていました。歌と言葉の違いは、悲しい歌に触れると悲しくなるけど、悲しいという発声や文字に触れても悲しくならないこと。人類学や考古学によればヒトが法に従って生きるようになったのは1万年前以降の定住からです。それ以前はたとえ言葉を使いはしても他の類人猿と同じで生存戦略と仲間意識だけでやってきました。
そこから分かるのは「言葉の自動機械」や「法の奴隷」みたいな在り方は極く最近の生き方であること。言葉の外でつながる「言外のシンクロ」、法(決まり)の外でつながる「法外のシンクロ」が普通でした。指示されなくても何をすればいいのか分かるのが当たり前だし、祭りの機会に一緒に法の外に出た経験から共犯性のつながりを持つのが当たり前でした。こうした共同身体性や共通感覚が仲間意識の基盤です。
言い換えれば、それらを失うのが感情的劣化です。感情的劣化を被ると「言葉の自動機械」「法の奴隷」になり、ポジション取りにあくせくする「損得ロボット」になります。例えば決まりを破った同級生がいたら、今の子はすぐに先生や親にチクります。「先生に言わないでおいたよ」と相手に告げれば、直ちに絆が生じます。一緒に立ち入り禁止区域に入っても、絆が生じます。昔は誰もがそれを知っていました。
だから法に従う定住以降はお祭りがあるのです。定住を支える収穫物の保全・配分・継承の必要から所有の概念が生まれ、所有をめぐる仲間集団同士の紛争に事前事後に対処するために法ができました。小さな仲間集団内なら法は要らず仲間意識だけで前に進めますが、定住すると仲間集団の集まりになるので、仲間集団(今の家族親族)を守るためにも敢えて法に従う。持続が期待される婚姻も法がもたらしました。