クズな大人に育てない! 必要なのは「人間中心の視座」を棄てること
2020/01/22
「社会の内」という人間中心の世界に閉じ込められ、「社会の外」に拡がる世界とつながる作法を知らずに育てば「クズな大人」になる、と社会学者の宮台真司氏は語る。「社会の内」に囚われずに生きていくためには、「視座」を変えることが重要なポイントだ。
社会の外の範囲を知るには
「存在論的転回」を学ぼう
ジェントリフィケーション以前の記憶を持つ僕ら以前の世代は時折「社会の外」に接触してエネルギーを再充填する作法を知っています。社会が生きづらくなれば「社会の外」とつながればいいのも知っています。僕の世代は「はざかい」です。
そうした作法を知る人は「社会の内」に過剰適応せずに済みます。過剰な不安ゆえに言葉の自動機械/法の奴隷/損得マシーンになる神経症がありません。こうした作法を知らずに育てばクズな大人になります。
「社会の外」とつながるには、獣や虫に、草や花も樹に、森や川や海や空に「なりきる」作法を使えばいいこと、「社会の内」に戻るには「pretending (なりすまし)」の作法を使えばいいことを、世界各地 の古い世代の人や先住民が弁えま す。
最近の学問は「社会の内」に閉ざされていなかった頃に注目します。「存在論的転回」と言います。「社会の内」に閉ざされると、人が主役だとの錯覚に陥りますが、「社会の外」に開かれれば、人ではない様々な事物が主役(存在)として立ち現れます。
元々の出発点は、ナチス翼賛を反省した第2次大戦後の後期ハイデガーですが、それが見直されたのも「存在論的転回」の御蔭です。 1990年代の人類学者スペルベルとラトゥールなどが転回を推し進めました。
生存論と実在主義を欠く言語使用
欠けば人類は破滅する
スペルベルによれば、インフルエンザが鳥や豚を媒介に変異して拡散するように、表象(言葉)の歴史を疫学的に見ると、表象が人を媒介に変異して拡散したのです。同じく、ラトゥールによれば、加工品が人を媒介に変異して拡散したのです。
人が表現した、作ったというのは、「社会の内」に閉じ込められた錯覚です。iPhoneをとると、iPhoneという加工品の製造は、それまでの加工品の時間的集積があって初めてできます。スマホという表象も、伝達手段についての表象の時間的蓄積が与えたものです。
人間だけからなる社会という表象を抱く「社会の内」に閉じ込められた人から、世界がどう見えるか。そうした人間中心的視座の放棄が「存在論的転回」です。これは1920〜30年代の「言語論的転回」へのアンチテーゼです。世界は(恣意的な)言語によって構築されるとする、後の構築主義につながる貧しい発想です。
人類は、世界はそもそもどうなっているかというontology(存在論)と、それを踏まえて生き残ろうとする realism(実在主義)が なければ、生き残っていません。存在論と実在主義を欠く言語使用は人類を破滅させます。昔は誰もが弁えた普通のこと。
日本人は食事時に命をいただきますと言って、社会ならぬ世界に感謝しました。そこに合体の表象があります。アマゾン先住民などの食人文化もそうした合体の表象の延長線上にあることが人類学の研究で分かっています。学問が大切です。
PROFILE
宮台真司 SHINJI MIYADAI
1959年宮城県生まれ。社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)など著作多数。
Text >> 大根田康介
FQ Kids Learning vol.1より転載