「辛い練習の裏に、両親のサポートがあった」近谷涼選手が語る親の存在
2019/01/29
東京五輪を親子で楽しみたいと胸高まるパパも多いはず。そこでFQは注目アスリートがどんな風にして育ったのか、「生い立ち」「親子関係」「世界で戦う能力」を探る東京五輪特別企画をスタート。今回は、自転車トラック競技の近谷涼選手。
肉体と精神を極限まで追い込んで、がむしゃらに走り抜く自転車トラック競技。その第一線で活躍する近谷涼選手は、トップアスリートの1人だ。どんなに辛いトレーニングにも耐えうるその不屈の精神力は、両親のサポートがあってこそ、身に付いたものだった。
目標を持ち続けること、
信念を貫き通すこと。
それが一番大事な能力
すり鉢状の傾斜がついたトラックを、時速60kmを越えるスピードで全力疾走する「自転車・トラックレース」。2020年東京オリンピックで行われる競技のなかでも、注目されている競技の1つである。近谷涼選手が日本記録を持つ自転車競技「個人追い抜き」は、己の極限まで体力と精神力を追い込む、極めて過酷な競技。そこで結果を出すために最も重要な能力について、近谷選手は“信念を持ち続ける力”だと言いきる。
「自転車競技は、『自転車のうえでどれだけ時間を過ごしたか』だと言われていて、日々の練習は本当に地味だし、キツイ。自転車に乗るのも、目にするのすら嫌になることだってあります。でも、しっかりとした目標があれば、どんな困難があっても気持ちが切れることはありません。目標を持ち続けること、信念を貫き通すこと。それが一番大事な能力ですね」。
近谷選手と自転車との出会いは、幼少の頃。歩くことさえ覚束ない幼児には、スイスイと軽やかに進む自転車がまるで魔法の乗り物のように思えた。
「補助輪付き自転車に乗ることがすごく好きでした。家から歩くと3~4分かかる駄菓子屋さんへも、自転車なら30秒で行ける。そのワープ感覚が楽しくてたまらなかったんです」。
小学校に入学すると、自転車好きはさらにヒートアップ。
「放課後は、近所の大きな公園で友達と自転車レースをして遊ぶのが定番。公園を2周、3周して競うんですが、この競技なら自分は誰にも負けないと勝手に確信していましたね」。
自分には、自転車の素質がある。そう思いつつも、どう活かせばいいのか皆目検討がつかなかったが、ある時、テレビで競輪レースを目撃。自分もやってみたいと調べてみると、競輪選手が指導する自転車愛好会のHPを見つけた。すぐに両親に相談すると、二つ返事で連れていってくれたという。
僕の『したい』という気持ちを
いつも尊重してくれた
「競輪場で競技用自転車に初めて跨った時、これこそ自分が求めていた世界だと思いました。走るためだけに作られたブレーキのない自転車と、信号も人も車もなく速く走るためだけの走路。風を切ってがむしゃらに走ると、遠心力で今まで味わったことのない感覚を身体中で感じて、もっともっと速く走りたいと思いましたね」。
そして、中学生から自転車競技を本格的にスタート。一時は、長年続けてきた野球と自転車のどっちをとるかで悩んだが、最終的には自転車部がある市外の高校へ通うことに決めた。
「高校は自宅から約20km離れていて、通学がものすごく不便。反対されてもおかしくなかったけれど、両親は『お前がやりたいのなら』と応援してくれました。親に感謝しているのは、僕の『したい』という気持ちをいつも尊重してくれたこと。思えば、小さい頃から欲しいものも何でも買ってくれたように思います。唯一反対されたのは、高校で『ピアノをやりたい』と言った時。自転車漬けの毎日だったので、さすがに『そんな時間があるか』と止められました(笑)」。
両親がそうしてくれたように
興味のあるものを見つける
手助けをし、それを全力で
応援できるような親になりたい
信念を貫く精神力。それを養うことができたのは、高校の部活動での経験が大きいと近谷選手は振り返る。
「朝練の日は3時半に起床、部活をして帰宅するのは21時、22時という生活。一日10時間ローラー台の自転車をこぎ続けたり、一日300km走ったりすることもありました。毎日逃げたくなるほどきつかったですが、それでも続けられたのは、『全国で1位になる』と両親とも約束した目標があったから。これ以上にキツイ体験はなかったから、その後の競技人生、どんなことでも乗り越えてこられたんです」。
過酷な日々の影には、両親の絶大なるサポートも。フルタイムで働いていた母親は、朝練に向かう近谷選手のために、3時前に起きて弁当を作り、車で30分かけて高校まで送迎。試合で遠征するときは、顧問の先生の代わりに父親が引率することもあった。「共に戦ってくれている感覚だった」という両親だが、心配が過ぎて競技のダメ出しをすることも。
「まるでコーチのように、試合を観てはあそこがダメだとか、なんでできないんだとか。両親が自転車競技経験者なら素直に聞けたかもしれませんが、『何が分かるんだ』と度々ぶつかっていました。でも振り返れば、それで奮い立たせられる部分が大いにあった。結果で見せてやるぞ、と発奮できたんです。スポーツの世界では、幼い頃から英才教育を受ける選手も少なくありません。でも、僕自身、いつか子供を持つことがあったら、子供に自転車をやれとは言わないと思います。興味のあるものを見つける手助けをし、それを全力で応援できるような親になりたい。自分の両親がそうしてくれたように」。
来るべき東京オリンピックを「人生最高の晴れ舞台」と捉えているという近谷選手。支えてくれた両親への最大の恩返しの場にするべく、全身全霊をかけて練習に打ち込む日々だ。
PROFILE
RYO CHIKATANI
1992年生まれ。富山県出身。チーム ブリヂストンサイクリング所属。高校の時に個人追い抜き競技を始め、2016年、アジア選手権・4km団体追い抜きで2位、全日本選手権・4km個人追い抜きで優勝(日本記録保持)。2017年には2連覇を達成。2018年、アジア選手権・4km団体追い抜き優勝(アジア&日本記録)、4km個人追い抜きでも優勝。東京オリンピックでのメダル獲得を目指す。
「チームブリヂストンサイクリング」
ブリヂストンサイクル株式会社を母体とする創設1964年の名門チームが、2018年からチーム名を変更し、更にメンバーも加わり新たな体制でスタートした。これまではロードレースをメインに活動してきた同チームだが、東京五輪でのメダル獲得を目標に、トライアスロン、トラックレース、パラトライアスロン、パラサイクリングなどが新たに加わった。
HP:チーム ブリヂストンサイクリング
Photo&Text » YUKIKO SODA