自分以上の子供を育てるには? 法の奴隷、言葉の奴隷からの脱却
2018/05/02
コントロールによって
コミュニケーションを実現する親
例えば公園に遊具を置くと危ない、といったことを平然という大人がいます。これもクズで、遊具の有無が問題ではありません。子どもが遊具をへんな使い方をしてもいい。いちおう昔も禁止されていましたが、ブランコから飛んだりしたり、花火を水平打ちしたり、それもいいだろうという感じでやっていました。今はそういう環境がありません。
コントロールによってコミュニケーションを実現しようとしてしまう親がいる。一口で言えば、何でもありで、友情や愛のために法を破れるかが大事で、法の内側、言葉の内側に正しさがあると思っている人間はクズです。昔から小説でも映画でも、そういう人間はクズとして描かれてきていることからもそれは明白です。さらに人類史的にもそれは証明できます。勘違いに陥りそうな親は、人に委ねるということも大事です。
法や言葉はとりあえずのもので、大事なものは未規定で不可解でカオスで不条理です。正しさや愛のために法を破っている人間は、自分が何に突き動かされているか言語化できません。そういう、人間のもともとの在り方を取り戻すように問題設定しています。その手段が『ウンコのおじさん』ということになります。
PROFILE
宮台真司
1959年宮城県生まれ。社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)など著作多数。
FQ JAPAN DIGEST VOL.44(2018年春号)より転載