席を譲らない社会は衰退する? 自己責任論の弊害とは
2018/04/23
自己責任のマネー資本主義と
里山資本主義
シルバーシートよりずっと大きい話として、お金に関しても、今の日本にはまったく同様の構造の考えが蔓延している。「お金を稼ぐ競争に勝った人間が、一度獲得したお金を保持するのは当然の権利であるばかりか、自由競争原理に適う行為であり、資源の最適配分をもたらして、世の秩序や活力維持に役立つ」という発想だ。
この発想の先には「自分が稼ぐのに失敗しておきながら、金持ちから税金を取って生活保護だの教育費支援などの名目で配れというのは、お金を稼げなかった連中の自己責任をわきまえていない、間違った行為である」という考えが出て来る。
筆者はこうした考えを「マネー資本主義」と読んでいる。マネー資本主義では、稼いだ額の多寡がその人間の価値を決める。貯めこめるだけ貯めこんで使わない人が偉いのであり、子供をたくさん産んでその分貯金を減らすのは、愚かな浪費家だ。彼らが苦しむのは自己責任であり、助けるべきではないということになるので、当然に少子化が進む。
それに対して筆者は「里山資本主義」を提唱している。里山とは、そこに暮らす人間の営みが自然の循環再生プロセスの中に組み込まれており、人間がいることで生物多様性が増え、環境の持続可能性が高まっているような場所だ。
本末転倒?
自己責任貫徹の結果
里山資本主義は、資本主義である以上お金を稼ぐ点は同じだが、稼ぎを貯めることではなく使って社会に循環させること、自分が財産を殖やすのではなく、企業や社会を次世代に継続させること、そのために周囲と競争ではなく協働することを目指す。里山資本主義者にとって、自己責任貫徹の結果としてつなぐべき次世代が減ることは、本末転倒だ。
マネー資本主義を信じれば、自分の子供も、より多くのお金を稼いで貯められる「勝者」に教育したくなる。そのためには、都会で試験に勝ち、いい学校を出て、いい仕事を得させることが重要だ。
対して里山資本主義に信を置けば、お金だけでなく家庭生活や他人とのつながりを重視する人間に育てること、試験に勝つことや上司の言うことを聞くことよりも、対等に周囲と協働できる力を身に付けさせることが、重要な教育となる。
PROFILE
藻谷 浩介 MOTANI KOUSUKE
株式会社日本総合研究所主席研究員。「平成の合併」前の3232市町村全て、海外90カ国を私費で訪問した経験を持つ。地域エコノミストとして地域の特性を多面的に把握し、地域振興について全国で講演や面談を実施。自治体や企業にアドバイス、コンサルティングを行っている。主な著書に、『観光立国の正体』(新潮新書)、『日本の大問題』(中央公論社)『里山資本主義』(KADOKAWA)など著書多数。お子さんが小さな頃は、「死ぬほど遊んだ」という良き父でもある。
Text >> SHINPEI KUNIYOSHI
FQ JAPAN VOL.46より転載