経済合理性が子育てしにくい世の中をつくる
2016/02/02
「教育ジャーナリスト・おおたとしまさの視点」連載第22回。子育てしにくい世の中をつくっているものとは?
必要なのは名誉か肉か?
マンモスを狩って生活していたような時代を想像してください。
ある部族でマンモスを狩りに出かけました。部族全体の存続をかけた大事業です。ある、もう盛りを過ぎた子だくさんの男性は、豊富な経験からマンモスのいそうな場所をかぎ当てました。
同じく盛りを過ぎた子煩悩な男性は、狩人たちから逃れようとするマンモスをうまく足止めし、チームワークでマンモスを追い詰めました。
そして最後、筋骨隆々で部族の若い女性からもモテモテの、今最高に脂ののっている独身男性が、勇敢にマンモスに飛び乗り、最後の一撃を食らわし、巨大なマンモスは轟音を立てて地面に倒れました。
男たちは巨大なマンモスに祈りを捧げ、その場で解体し、家族の待つ村まで肉を担いで帰りました。村には腹を空かせた女・子供・老人が待っています。
さて、問題です。村が栄えるためにはマンモスの肉を各家族にどんな風に配分するのがいいでしょうか。
① 一番の活躍をした若い男性にその「成果実力」に見合うだけの大量の肉を渡し、マンモスを足止めしたり、肉を解体したりしただけの地味な仕事しかしなかった男たちには少量の肉しか渡さない。
② 狩りでの功績に関係なく、家族の人数に従って肉を分配する。子供がたくさんいる家族には、堅くて美味しくはないけれど、食べ応えのあるおしりの肉を大量に渡す。老人のいる家庭には柔らかくて栄養価の高い内臓を渡す。ど派手な活躍をした若者には、美味しい肉を一人分渡す。ついでに“食べられないが、腐ることなく永遠に名誉の証しとなる”牙をそっくりそのまま渡す。若者はそれを名誉として独り身の家の前に飾る。
成果実力主義は本当に合理的か?
①の方法では、若者が食べきれないほどの肉を得て、それを目当てに集まる若い女性に子供を産ませるくらいのことはできても、そのほかの子供たちは育たず、村は滅んでしまいます。
②の方法なら、若者の名誉は保たれ、村全体としても繁栄することができそうです。若者は頼れるリーダーとなり、村人たちも彼を慕うでしょう。
日本もバブル後、成果実力主義を採用する会社が増えました。成果をあげた者、実力のある者が、正当な「評価」を得ることは当然のことです。しかし、その「評価」とは何なのでしょうか。優れた成果実力に対して与えるべきものは何なのでしょうか。
「成果実力」に対する「評価」が、「得る肉の量=(お金)」になってしまったことが不幸の始まりではないかと思うのです。
「成果実力」に対する評価は、「名誉」であればいいはずです。肉ではなくて牙でいいはずです。それなのに、バブル時代に資本主義が行きすぎたことにより、物事の価値はすべて「お金=肉の量」に置き換えて測定されるようになりました。
結局、一部の派手な働きをしたものだけが肉を独り占めするような社会では、社会全体は滅んでしまいます。単純に考えて、ある社会において、それが国という単位でも、部族という単位でも、家族という単位でも、「得るべき肉の量=生きる糧=お金」は、人の頭数だけ必要ですから。
おおたとしまさ(TOSHIMASA OTA)
株式会社リクルートを経て独立。男性の育児・教育、子育て夫婦のパートナーシップ、無駄に叱らないしつけ方、中学受験をいい経験にする方法などについて、執筆・講演を行う傍ら、新聞・雑誌へのコメント掲載、ラジオ出演も多数。
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