子供の将来は父親の賢さ次第!「モンテッソーリ教育」とは
2018/08/16
親ならば子供にはのびのびと健全に育ってほしいと願っている。それは、とにもかくにも父親であるアナタ次第だ。そんなわけで、これからの時代に求められる“ 親としての素養”を探ってみよう。作家・鈴木光司氏の「モンテッソーリ教育」に似た子育てとは。
まずは作家・鈴木光司氏の
こんな話
子供がすることのすべてに介入するのも、逆に、まったく気にしてあげないのもただの育児放棄。子育てっていうのは、危ういバランスの上にあるんだ。そのバランスをキープするためにはどうすればいいか? 重要なのは情報収集、子供たちとのコミュニケーションを保つことだ。それが何よりも必要だし、それでしかバランスは保てない。
例えばジャングルジムがあったとしよう。幼い子供がよたよたしながら登っていくと、親は心配だから「やめなさい」と、すぐにそこから降ろしてしまう。これは子供が自分で学ぶ場を親が奪ってしまっているということ。親は子供が落ちてきた時にしっかりと受け止める用意をしておけばいい。だからその分、キチンと観察してあげないといけない。でも見守りながらもあくまで手出しはしない。その部分にありったけのエネルギーを注ぎ込むこと。余計なところにエネルギーを使わずに、“人間を育てる”ことに、ピンポイントで使う。これが僕流の子育てだね。
自立した子供を育てる
モンテッソーリ教育とは
実は鈴木光司氏が話す子育て論は「モンテッソーリ教育」に近い考えだった。子供の自立性を伸ばすために親がすべきことを日本モンテッソーリ教育綜合研究所に取材した。
口を出さず見守る
子供にほぼ決まった時期ごとに訪れる「敏感期」。「運動」「言語」ほか内容はさまざまだが、「感覚」「秩序」どれも子供にとって「生きるうえで必要な動作・思考」が含まれている。そんな「子供の大切な敏感期」を見逃すことなく、じっと見守ることは、親の大切な役目のひとつだといえる。
気の済むまでやらせる
一見、無意味に、あるいは単なるいたずらにしか見えない。こうした子供の行動も、実は成長するための「立派な仕事」。大切な仕事を途中で止められたら、当然反発するだろう。また、仕事には必ず「終わり」がある。そこで親としては、子供のプロジェクトが完遂可能な「環境づくり」に専念すべきなのだ。
大人がお手本になる
親の行動に興味を持った子供に何かを教える際、もっとも大事なのは『言葉に頼りすぎない』と、『実際の動きを、ゆっくりと、して見せる』こと。この時「温かな思いやりの気持ち」を持って接することも大切だ。両親の子供への接し方は、そのまま「子供の価値観」となる。普段から「幸せな大人の姿」を見て育った子供は、幸せな大人へと成長する。