子供の才能を伸ばせる親、潰してしまう親
2016/09/09
将来オリンピックで活躍する一流選手、世界を驚かすようなエンジニア……子供の将来を考えると夢は無限に広がる。がしかし、親にできることは“子供がなりたいもの”になるためのサポートをすること。ここでは、子供が幸せな人生を歩むための親のスタンスの話をしよう。
「一流」ほど、我が子に
自分と同じ道は望まない
イチロー選手の3000本安打、甲子園球児たちの汗と涙、そしてオリンピック&パラリンピック……。
この夏、一流のアスリートたちの姿に何度も胸を打たれた。私たちが感動するのは、彼らの持って生まれた才能に対してというよりも、その才能を開花するために彼らが続けてきた並々ならぬ努力に対してである。
最近私は格闘技、野球、音楽の各分野で頂点を極めた「一流のプロ」たちに直接話を聞く機会に恵まれた。誰もが羨む華々しい舞台に立つまでに、どんな道を歩んできたのかを、根掘り葉掘り聞いた。「我が子の才能を伸ばしてやりたい」と願う親の参考になるのではないかと期待した。
しかし彼らが共通して口にしたのは意外にも、「我が子に同じ道を歩ませたいとは思わない」という言葉だった。
話を聞いてわかったのは、彼らのような一流になるためにはいくつかの条件が揃わなければいけないということだ。体格や身体能力(音楽であっても!)を含めた才能に恵まれ、良き師と出会い、才能を開花させるための辛くて長い試練に耐えることができて、友達と遊ぶのも我慢して誰よりも多くの努力を自らに課すことができて、さらに、チャンスに恵まれ、それに気づき、ものにすることができなければならなかった。
彼らは知っている。自分よりも才能に恵まれ、努力も重ねてきた多くの同輩たちが、道半ばで志を捨てねばならなかったことを。
彼らは知っている。もし自分がもう一度同じように生まれて同じような人生を歩み始めたとしても、必ずしも同じ結果が待っているとは限らない不確実性を。
そして彼らは誰よりも知っている。自分の歩んできた道が、言葉では説明できないほど厳しい道だったことを。だから、「こんなに厳しい道を、我が子には歩ませたくはない」と口をそろえるのだ。
一つのことに打ち込み、秀でることは素晴らしい。多くの犠牲を払い、厳しさに耐えることができれば、それなりに有名にはなれるかもしれない。本人が望むなら、そうすればいい。
しかしそこまでの犠牲を払わなくても、人生の幸せはもっと身近なところに見つかるはずだというのだ。