男性国会議員の育休取得の賛否を巡って
2016/01/05
「教育ジャーナリスト・おおたとしまさの視点」連載第21回は、男性国会議員の育休取得について。
賛否を言い争っている場合ではない
男性国会議員も育休をとりたいという話で賛否が語られている。育休をとれたほうがいいかとれないほうがいいかと言われれば、そりゃとれたほうがいい。国会議員が育休をとれば、男性も育休をとる時代という宣伝効果は抜群だ。
しかし反対派も育休をとること自体に反対しているわけではなかろう。育休期間中、彼が預かっている民意をどうやって国政に届ければいいのかという議員制民主主義の原則を心配している人もいるだろうし、ただでさえ高給取りの国会議員が、職場に出勤せずに給料を丸ごともらえることに対して「ずるい」と感じる人もいるのだろう。個々の問題は個々の問題としてそれぞれトラブルシューティングしていくべきだ。
ここで賛成派がやってはいけないのは、賛成派が反対派の考えを「浅はか」「理解できない」などとけなすこと。あるいは上から目線で、「そんなものはこうすれば……」と能書きをたれること。対立構造をつくったら膠着状態に陥る。結局何も変わらない。
ここで必要なのは、どうやったら男性国会議員でも育休をとれる世の中になるのか、反対派の懸念が回避できるようになるのか、知恵を出し合うこと。反対派が何を心配しているのかを丁寧に聞き、それぞれの問題を個別に解決する方法を一緒に考えていくこと。
たとえば国会に民意を届けるという意味では、テレビ会議形式での議会参加を認めたり、育休期間中だけ代役を立てたりという方法も、検討に値するはず。もちろんハードルは高いのだろうけど。
育児をお金に換算する発想には要注意
給料丸儲けがずるいという感覚に対しては、世の中も全部そうしてしまえという発想の転換だってあるはず。もちろん「財源はどうするの?」という問題はあるけれど、社会として目指すべき方法はそっちだよねというコンセンサスを形成する機会にはなるはず。
一方で、「給料をもらって休むのはずるい」というのに対して「育休中は休んでるんじゃない。子育てという大変なことをしているんだ」という反論は危険だ。国会に出て民意を届けるというミッションに対して支払われるフィーを、そのミッションを果たしていないのに受け取るのは不公正だという意見に対して、育児だって大変だと言ったところで、論理的にかみ合わない。せっかくいいことを言っていても感情的な反論だとみなされてしまう。
さらにその議論が過熱すれば、「育児の対価」という概念を強化してしまうリスクもある。それでは相手の土俵に乗っかるようなものだ。
子育ての経済合理性が低いと見なされれば、社会における子育ての価値が相対的に下落していき、社会が子育ての「意義」を顧みなくなる。好景気なときほど子育ての価値は小さく見積もられ、子育ての「意義」は忘れられていく。実際、高度成長期の中で、そのような経緯で、子育ての「意義」が忘れられてきたわけだ。経済合理性が子育てしにくい世の中をつくるという話については来月にでもこのコラムに掲載する。
今回の件は、賛成か反対かで言い争うのではなく、どうやったら男性も育休がとれる世の中になるのか、具体的にアイディアを出し合う機会にしたい。
おおたとしまさ(TOSHIMASA OTA)
株式会社リクルートを経て独立。男性の育児・教育、子育て夫婦のパートナーシップ、無駄に叱らないしつけ方、中学受験をいい経験にする方法などについて、執筆・講演を行う傍ら、新聞・雑誌へのコメント掲載、ラジオ出演も多数。
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