経済的「勝ち組」を待ち受ける2つの落とし穴とは?
2018/04/26
“勝ち組”だけしか生き残れないというのは
時代遅れの錯覚
何とも嘆かわしいのは、マネー資本主義的価値観から自分を「勝ち組」であると勘違いし、経済競争に背を向けて田舎で貧乏暮らしをしつつも子孫繁栄している人を「負け組」呼ばわりする人間がいることだ。
彼らは、誰か「負け組」がいてくれないと自分の誇が持てない、不幸な人種なのである。本当の誇りというものを得たことがなく、誰か自分よりダメな人が存在することの反作用としてしか、自信が得られないのだ。だがそういう発想自体が古すぎる。21世紀の日本は、全員が「勝ち組」になることも可能な、豊かさを実現できているからだ。
生産手段が農業しかなかった時代には、勝ち組と負け組の分化は必然だった。というのも、天候がいい年が続く間はどんどん人口が増えるが、天候不順の年があると、貯めていた食物の奪い合いが避けられない。負けた方は良くて奴隷、悪ければ飢え死にだった。
しかるに20世紀になって化石燃料の利用が本格化すると、人間は過去4億年分の太陽エネルギーの蓄積を一気に使えるようになった。それをテコに技術を磨き、今度は今現在降り注いでいる太陽光や地熱だけで文明が維持できるように、工夫を凝らしつつある。そうしたら、日本を先頭に、戦争でもないのに生まれる子供が減り始めた。この傾向が続けば、地球の生態系の持続可能性は増す。
つまり21世紀の世界は、戦争をしなくても、他人を水面下に蹴落とさなくても、皆が生きていける世界になる可能性が高いのだ。現に戦争をしている国はどんどん経済的に立ち遅れ、平和な国ほど豊かになっている。平和な日本では、犯罪は急減し、自殺も減り始め、寿命は年々伸びている。
これに気付けば、上京して会社で蹴落とし合いをした末に子孫が残らないという結果になるよりも、地方に居て自分らしく生きればいいのだとわかる。地方にいるということは、蹴落とされたのでもなければ、食べられなくなることでもない。むしろ逆だ。
「里山資本主義的子育て」は逆張りではなく、時代の変化を押さえた王道である。ぜひ皆さんもご一考いただきたい。
※人口のデータは務省統計局「平成 27 年国勢調査結果」、出生数、出生率のデータは厚生労働省「2015 年人口動態統計」に基づき掲載
PROFILE
藻谷 浩介 MOTANI KOUSUKE
株式会社日本総合研究所主席研究員。「平成の合併」前の3232市町村全て、海外90カ国を私費で訪問した経験を持つ。地域エコノミストとして地域の特性を多面的に把握し、地域振興について全国で講演や面談を実施。自治体や企業にアドバイス、コンサルティングを行っている。主な著書に、『観光立国の正体』(新潮新書)、『日本の大問題』(中央公論社)『里山資本主義』(KADOKAWA)など著書多数。お子さんが小さな頃は、「死ぬほど遊んだ」という良き父でもある。
Text >> SHINPEI KUNIYOSHI
FQ JAPAN VOL.46より転載