教育と人材育成は違う! おおたとしまさ氏が語る、幼児教育の心得とは?
2016/12/07
教育と人材育成は
似て非なる言葉
教育の領域にビジネスの原理が入り込んできていることを象徴している言葉がある。「人材育成」だ。結論から述べる。「教育」は子供ありきの営み、「人材育成」は目的ありきの営み。出発点が真逆である。しかし昨今の教育議論では、これら2つが混同されていることが多い。
ケヤキにはケヤキの育て方があり、松には松の育て方がある。それぞれ適切な環境を与えられれば、小さな種子は自らの力で芽吹き、自らの力で根を張り、自らの力で枝葉を伸ばし、大木となる。それが教育。つまり教育とは、それぞれの人間の特性を見極め、好ましい環境を与えること。だから、「どんな教育がベストか」を論じることには意味がない。「どうやったら多様な人間が育つか」を論じるべきだ。
「人材育成」の意で
注目すべき点は?
一方、「人材育成」とは、何らかの目的に合う材料として、一定のスペックをもつ状態に、人間を加工すること。どうやったら効率よく「人材」を育成することができるかに主眼が置かれる。注意すべきは、「食材」も「木材」も、一般には「材」になったときにはもう死んでいるということだ。人間の場合、「人材」と呼ばれても本当に殺されるわけではない。しかし「材」としての「役割」にとらわれてしまっては、「生き物」としての「生き様」を失う。「材」となったものにはすでに「生きる力」はない。
あたかもビジネスのように、施策と効果の関係を数値化・可視化してPDCAサイクルを回すことは「人材育成」には有効だ。エビデンスベースで語れることの大概は「教育」の効果ではなく「人材育成」の成果なのである。しかし、くり返す。論理的に「ベストな教育」を導き出すことは、論理的に不可能なのだ。
「これからは先の読めない時代」などといわれるが、焦ることはない。人間は、常に「先の読めない時代」に臨機応変に対応し、助け合い、何百万年も進化してきた。今を生きる子供たちにも、その能力が備わっているはずなのだ。それを引き出してあげさえすればいい。
社会の急速なグローバル化を前にして「グローバル人材にならなければ生きていけない」「もっと強力な生きる力が必要だ」と慌てふためいているのは、「自分たちの経験則がもう役に立たない」と感じている大人たちだけなのである。まず大人が落ち着こう。
PROFILE
育児・教育ジャーナリスト
おおたとしまさ(TOSHIMASA OTA)
育児・教育ジャーナリスト、心理カウンセラー。株式会社リクルートを脱サラ・独立後、男性の育児、夫婦のパートナーシップ、子供のしつけなどについて執筆や講演を行っている。著書に『忙しいビジネスマンのための3分間育児』『パパのトリセツ』など。
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FQ JAPAN VOL.41(2016-17年冬号)より転載