「子育ては自分育て」本木雅弘の父親学
2016/10/14
成長のきっかけをくれるのは
いつだって、子供たち
同じように見える毎日でも、人間はわずかながらも変化し、成長を遂げている。『永い言い訳』は、そのことを信じさせてくれる映画でもある。
「およそ1年にわたる撮影期間の中で私は50代のスタートを切り、物語の後半では、すべてを吐き出して正真正銘デトックスされた幸夫が、監督がいうところの〝新たに建て直す更地に立った少年のような姿〞で現れるために8㎏痩せ、見た目にもわかりやすい変化も遂げました(笑)。大人になると、変わらない自分をずっと抱えているような気にもなりますが、揺れながらも成長はしているんですよね。
そしてそのきっかけとなるのは、映画の中の幸夫がそうであったように子供であることが多いとも思います。原作小説の言葉を借りれば、『月並みだが、子供の瞳というのはなんと澄んでいるんだろう。まるで針のように細い矢で胸の悪いところを射られたような、そんな気持ちになる』という瞬間が、実人生の中で幾度もありました。子供の成長過程は、体験するすべてが初めてのことで、その都度、怯えたり驚いたり、グッとのめり込んだりする。その無防備な姿を見ているだけで気づかされることが多くあり、そのたびに私自身も成長してきたと思います」。
大学1年生の長男、高校2年生の長女、そして、小1の次男。4年前、一家でロンドンに移住するきっかけを作ったのもまた、子供だった。
「妻にはずっと、人混みに紛れる暮らしがしたいと言い続けてきていて、それが、長女の留学に引率するというエクスキューズをつけることによって実現した形です。結果として、当時2歳だった次男を振り回すことにはなりましたが、子供というのは環境に準じて生きていくタフな存在でね。私が幼稚園に次男を迎えに行って友だちと一緒に遊ばせていると、頼んでもいないのに『僕のお父さんはあまり英語が理解できていないから、話しかけないでね』なんていって(笑)。頼りになるんです」。
教育については
お国柄による違う
アメリカで学ぶ長男とイギリスの学校に通う長女。そこから垣間見える教育方針の違いも興味深い。
「私は教育熱心ではまったくなく、子供に対して思うことは、ごくごく当たり前のラインに乗ってみた上で、いつか好きに逸脱してほしいということだけなんです。ですから、教育については一般論しか語れませんが、それでも、お国柄による違いは感じています。よくいわれるように、日本が詰め込み式で、右にならえでみんなが同じことをまんべんなくできるようにする教育だとすると、アメリカは上も下も果てしなくチョイスがあり、競争はは激しくも広くチャンスを与えて自由に選択ができるという印象です。対してイギリスは、早めに道筋をつけて専門分野に特化させ、深く思考していくというイメージですね。いずれにしても教育内容以上に、人種の幅がある環境そ
のものが面白いですね」。
子供たちがどこで何を学び、どの道に進んだとしても、その根っこに日本の文化が息づいているように。親として、できる努力は重ねてきた。「義母の樹木(希林)さん曰く、『日本特有の文化は希少なもので、のちに外国に出ていったとしても知っておいて損はない』と。確かにそうだと思うので、日本で生活していたときは、節分、桃の節句に、端午の節句、七夕、お月見と、季節の行事は案外がんばりましたし、会話の中で、日本人的慎ましさも伝える努力はしています」。
幼い頃に見聞きしたことや育った環境は、大人になってからジワジワと効果を発揮する。
「やはり、自分が生まれ育った場所や環境は、自分そのものなんですよね。私は埼玉県の田舎出身であることにコンプレックスを抱き、東京に飛び出しました。でも、人の親となり、少年時代を思い起こせば、緑豊かな中で空を見上げ、結果健やかな育ち方をしていたな、と感謝しかありません。私の子供たちにとっても、私の両親が育てた無農薬の大根を引っこ抜いたり、なすを収穫したり、そういった経験が、少なからず人格形成に影響を及ぼすはずで、私自身では提供できない体験をさせてくれるありがたみを感じますね」。