なぜ、男の思考はいくつになっても“小4”なのか
2014/09/02
自分を基準にすると相手が劣って見えることがある
冒頭の「男=小4?問題」に話を戻そう。これは、「一般的な女性を基準にすれば、一般的な男性のモチベーション構造は小学生並みである」ということ。多少大袈裟かなとは思うが、基本的にはその通りなのだと思う。だからといって「褒めてくれなければ男は伸びない」とか「うまく褒めてあげることができない女が悪い」というような、「責任のなすりつけ合い」が主旨ではない。本来受け入れがたい”違い”を受け入れるためにのひとつの手段として、「男性の精神年齢は小4くらい」と思ってあげたほうが、結局女性にとっても楽という”心構え”をいっているのである。「損して得取れ」みたいな提案だ。
ただし、気をつけてほしい。男性のコミュニケーションパターンが女性から見て未熟だからといって、すべてのことにおいて、「男性=小4レベル」ということにはならない。
たとえばインド人が指で食事をするからといって、インド人はみな赤ちゃんレベルと思う人は、少なくとも現代の日本にはほとんどいないだろう。インドの文化をみんな知っているからだ。日本人だってかつては、ナイフとフォークを使わずに箸を使っていることで、文化レベルが低いと西洋人からは見なされた時期があった。しかしそれが日本の文化だと知れ渡ってからは、今やそんな風に箸の文化をバカにする西洋人は少ないだろう。自分の文化を基準にして考えると、異文化が劣っているように見えることがある。しかしそれは単なる”違い”であり、”優劣”の問題ではない場合がほとんどだ。
男性が女性よりも単純なやる気スイッチをもっているというのも、だからこそ、一見無意味なことにも一生懸命になれるというメリットがあると言い換えることができる。もしかしたら、進化の過程において、女性にとって扱いやすいように、男性は単純なやる気スイッチを身に付けたのかもしれないし。
「ブタも、おだてりゃ木に登る」みたいに。
男女の間にあるのは”違い”であり”優劣”ではない
男女にもさまざまな”違い”がある。日本人の男性とインド人の男性の違い以上に、日本人の男性と日本人の女性のほうが”違う”存在ではないかと私は思う(日本人の女性とインド人の女性の違い以上に、インド人の男性とインド人の女性のほうが違う存在ではないかと私は思う、と言い換えてもいい。念のため)。男と女はそれほど異文化に属する生き物なのだと思う。そのことは、世界的ベストセラー『地図を読めない女 話を聞かない男』に詳しい(この本の内容も鵜呑みにできるものではないが。念のため)。だから女性から見れば、男性のコミュニケーションパターンは「小4レベル」に見えることがある。しかしそれは”違い”であり、本来”優劣”ではないはずだ。
こんな研究結果もある。アメリカの心理学者が約1年間をかけてさまざまな小学校を回ってみた結果、男の子は女の子の約20倍喧嘩をしていることがわかった。
面白いのはそこからだ。総じて彼らは、喧嘩をした後はさらに仲良くなるのだという。一方、女の子の場合、喧嘩の頻度は少ないものの、一度喧嘩をすると友情にヒビが入りなかなか元には戻らない傾向が強いのだそうだ。男の子にとって喧嘩は友情を深めるコミュニケーションのひとつであるが、女の子にとっては友情を終わらせるものでしかないということである。
喧嘩でスキンシップを図る男の子のコミュニケーションパターンは、女の子たちからすれば「幼児並み」あるいは「猿並み」のレベルなのだろう。しかしこれも”違い”であり”優劣”ではない。ただし、乱暴な男の子たちのことが理解できない女の子たちには「男の子たちはまるでお猿さんと同じだからしかたないんだよ」と諭すしかない。「男=小4?問題」もそれと同じではないだろうか。
“違い”を”優劣”と混同すると蔑視になる
逆に、男性から見れば、女性が未熟に見えることもある。前述の「地図が読めない」というのはその代表例だろう(もちろん女性がみんな地図が読めないだなんて私は思っていない、念のため)。電気配線が苦手とか自動車の運転が苦手とかいうのも、男性から見ると「なんでできないの?」というようなことだったりする。コミュニケーションにおいては女性のほうがレベルが高いと一般的にはいわれるが、部分的に見ればそうでもないといえることもある。男性から見た女性のコミュニケーションの”未熟”な部分として一般的によく言われるのは、「論理的ではない」とか「話があちらこちらに拡散する」とか「すぐに感情的になる」とかいうことだろう。これも本来は “違い”であり”優劣”ではない。
“違い”を”優劣”と混同し、相手を貶めることは蔑視にあたる。
人種や文化や男女の違いに限ったことではない。ひとにはそれぞれ得意分野と苦手分野がある。ある事柄に関して、得意な人から苦手な人を見れば、「小学生レベル」に見えるのかもしれないし、「なぜできないの?」と苛立つかもしれない。しかし、ひとはそれぞれ違うのだ。「これに関しては自分のほうが得意なのだな」と思うのなら、苦手な人を上手にコーチングしてあげればいい。得意分野と苦手分野はひとそれぞれなのだから、回り回ればお互い様だ。お互いにそれができる社会が「ダイバーシティ社会(多様性のある社会)」であり、男女に関していえば「男女共同参画社会」ということだろう。
“違い”を”優劣”と混同しない。”違い”によって相手を貶めない。お互いの”違い”を客観的に認識して、認め合い、助け合う。一人ひとりがそう心がければ、社会はじわりじわりと変化すると私は信じている。
おおたとしまさ(TOSHIMASA OTA)
株式会社リクルートを経て独立。男性の育児・教育、子育て夫婦のパートナーシップ、無駄に叱らないしつけ方、中学受験をいい経験にする方法などについて、執筆・講演を行う傍ら、新聞・雑誌へのコメント掲載、ラジオ出演も多数。
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